オメガ神話への誤解

オメガの「スピードマスター」という腕時計には、ひとつの伝説がセットになっています。
30数年前にアポロ13号が、月へ向かう飛行中に爆発事故を起こし、電力ダウン+酸素不足という絶望的な状況に陥りました。
地球へ生還するための重要なロケット噴射の際に、パンクした計器に代わって正確な時間を宇宙飛行士に提供したのが、彼らが腕に巻いていたスピードマスターだった…という神話は、多くのスピマス信奉者を生み出しました。

ここで、ひねくれ者の私(笑)は、神話に楔を打ちこもうと試みます。
こ難しい話になりますが、どうか最後までお付き合いを…。


まず、地上との交信は不明瞭・不安定ながらも保たれていました。ですから、宇宙船の時計が止まっていてもなんら問題はありませんでした。電力・酸素の残りなど、宇宙船に関するデータのほとんどが地上と送受信されていましたし、会話も密に行なわれていました。
宇宙船の現在位置および運動方向だけは、計器に表れるのではなく乗組員が特定の星を窓から測定することによって割り出していましたが、当然これとて、地上でも把握していました。
ロケット噴射のエピソードは、スイッチを押す正確なタイミングをスピマスによって得た、と言われていますが、これは明らかな間違い。事実は、コンピュータで制御された点火・消火のタイミングを、腕時計で見ていた?程度のものでした。
ですから「アポロ13号クルーの危機脱出・生還に大きな役割を果たした」という決め台詞は、ちまたで使われる意味では「根も葉もない嘘」となるのです。

…しかし、ほとんどの電子機器が止まり真っ暗闇・極寒の船内で、確実に時を刻みつづけるスピマスが乗組員の心の支えになった事は十分に考えられます。
私は巷説を覆したかっただけで、スピマスの価値をおとしめるのは本意ではありません。
各一流メーカーが威信を賭けて挑戦した、NASAアメリカ航空宇宙局)の過酷なテストにただ1機種合格したスピマスは、デザインの美しさも兼ね備えた、すばらしい腕時計です。
このたび、子供の頃からの憧れであったオメガ・スピードマスターを手に入れた(中古で格安)もので、こんな一文を書いてみました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上は、携帯電話のメールマガジンで書いた文章である。執筆者の権利として転用させていただいた。
 もう一度要点を述べると、

アポロ13号の乗組員は、オメガ・スピードマスターを腕にはめていなかったら、地球に生きて帰れなかった」という神話は全くの嘘

ということである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 何万人という人間が誤った伝説を信じ込んでいるサマは、インチキ新興宗教みたいで、はなはだ気色が悪い。
 たとえば「スイス時計紀行」という本の著者も、取材先で吹き込まれたエセ伝説に踊らされ、その信仰を更に広めるべく本を書いてしまったから始末が悪いのだ。
 この著者は、「アポロ13号の伝説を知らなかったら、ここまで機械時計に魅せられる事はなかった」とのたまわっているが、そうしてわざわざ書いたこの本で、なぜか13号伝説の具体的な内容について触れていない(笑)。1章を割いてしかるべきところを、ほんの数行で概要を述べているのみである。
 本来ならNASAにも出かけていって取材すべきで、情報の裏を取らないとは取材者として失格だし、そこを詳しく掘り下げたいとの思いが内から沸き上がらなかったとすれば、物書きとしての感性を疑う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 更に言うと、オメガ社がNASAから「スヌーピーアワード」という賞を贈られた理由は、スピマスが
「13号クルーの生還に寄与したから」
というのも、厳密に言うと間違いらしい。
 当初は「(ミッションを限定せず)唯一のNASA公認時計としてアポロ計画に役立ったから」
の授賞だったのだが、宇宙飛行士生還の祝賀ムードやらのドサクサに紛れ、尾鰭が付いたあげく伝説に昇華したようだ。
 そもそもスヌーピーアワードは、他にも宇宙計画に顕著に役立った人物・機関などに贈られており、オメガだけが特別に受賞したという一部の認識も誤り。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 細かい姿勢変更や微調整はともかく、メインロケットを使用する軌道修正においては、宇宙船と地上の管制チームの連携が不可欠である。
 
 宇宙船が恒星を観測することにより割り出した、自身の現在位置を地上に送信
(宇宙船単独では、現在位置は割り出せても、運動方向・運動量が判らない)
→本来取るべき軌道とのズレを地上で算出
→軌道修正のためのロケット噴射方向+噴射時間+燃焼量を地上から宇宙船へ指示
→宇宙船でその指示を「コンピュータに打ち込み」、打ち込んだ内容を地上へ送信して間違いがないか確認してもらう

 という手順を踏まないと、ロケット噴射はありえない。
 不測の事態が起こり地上との連絡が途絶えた場合の対処マニュアルも存在するが、アポロ13号の飛行においては、そんなものは必要なかった。「地上との連絡は保たれていた」からである。
 ここがまた巷間流布しているアポロ神話で勘違いされている点である。
 宇宙船のコンピュータが全滅し、腕のスピマスを見ながら乗組員が噴射操作を行なったようなイメージが定着してしまっているが、「そんなバカな話はない」(笑)。
 そもそも「アポロ13号のコンピュータは死ななかった」のだから。
 電力節約のため、不要な時間はスイッチを切っていただけで、帰路数回の軌道修正と、最後の大気圏突入の際は、コンピュータはバッチリ動いていたのである。

 さきに述べたデータ送受信に間違いがなければ、地上から点火のタイミングを指示される。点火スイッチを押すのは乗組員だが、タイミングを何で測るかといえばスピードマスターではなく、「宇宙船の壁時計」。
 考えてみるがよい。地球を発ってから3日も4日も過ぎた手巻き時計が、地上で合わせた時と狂ってないと思う方が、どうかしているだろう。現代のクオーツでさえ2〜3秒はズレる。

 実際の噴射の瞬間は、
地上のカウントダウンに従って乗組員がスイッチを押す→「壁時計が」指定の時刻になったらスイッチを切る
だけ。だいたい、乗組員がタイミングを誤ったとしてもコンピュータは自動で消火するようにプログラムされていた。スピマスの割りこむ余地は全く無いのだ。
 よし、仮に全て手動で行なうとしよう。噴射は長くても数分である。
 たとえば19時50分10秒から19時58分50秒までの区切られた時間を測り、その間に数秒も狂いが生じる時計なんてありうるだろうか。

 いくらスピマスでも、
 地球時間とのズレは当然生じていた一方で、区切られた数分を測る際には狂うわけがない

 そして
 宇宙船のコンピュータは(生死を分ける重要な操作の際には)しっかり作動していたのだから、自動巻き腕時計に生死を託す「必要がなかった」

 以上の理由により、
「オメガ・スピードマスターがアポロ13号クルーの命を救った」
という定説は、「スピマスの精度の高さのおかげで」という意味では、根も葉もないデタラメなのである。