山口瞳

食後のプロントで、小説新潮増刊の特集号を読みふけった。


「私は屈託なく時を過すということが出来ない。いつでも緊張しているし、絶えず気兼ねをしている。それで疲れてしまうし、すぐに肩が凝ってしまう」
「レストランで、客がたてこんでくると、腰が浮いてしまう。こういうときに、悠々と食後のコーヒーを飲んでいる人を見ると、つくづくと羨ましいと思う。彼は悪い人なのではなく、気がつかないだけなのである。(中略)こういうことは優しさとは無関係である。
(中略)それで対人関係がうまくゆくかというと、決してそうはならない。ある人はそれをうるさいと思い、ある人は過剰に愛されていると思い、甘えたりなれなれしくなってきたりする。そんなことで喧嘩わかれになった知人が何人もいる」
「どこへ行っても、サービス業者に対しては、お世話様になりますという思いを拭い去ることが出来ない。いつでも、俺は道の真中を歩いてはいけない人間なのだと思う。こういうことが、いかにもヤクザだと思い、自分でキザっぽいなと思う。どうして、もっと、ゆったりと構えることが出来ないのかと思う」
「六十年近く生きてきて学んだことのひとつに『人とは浅く付き合え』ということがある。
僕は友人や仕事がらみの人たちと深く踏み込んで交際する傾向があった。そのために何度も失敗したしお互いに傷つくような事件が起った。
たとえば、担当編集者は何等かの意味で尊敬できる男でなければ厭だったし、先方も少しは惚れてくれないと仕事に熱が入らなかった。また、親しき仲にも礼儀ありという関係でありたかった。ところが、これが、結果的に良くないのである」(「人とつき合う法」)
「私には、愛校心、郷土愛、祖国愛というものがない。父によく『お前のような感激性のないヤツはいない』と言われたものだ。私は、父や母や同胞(きょうだい)たちとの旅行に参加したことがない。留守番のほうを好んだ。私には家族愛もないのかもしれない」(「祖国愛」)


吉行淳ノ介との「恐怖対談」は、クスクスを遥かに通り越して爆笑モノだから困った。
書店に寄り、「山口瞳の人生作法」を買って出社。


申し付けられた作業を、自分の頭では何も考えずに行なう
言われない限り何もやらない、言われないと何をやるべきかも分からない
何かやるべき仕事があるのか無いのかすら判っていない
仕事の日程すら把握していない


いったいお前らは何しに会社に来ているんだ?
頭脳は動いているのか? そもそも脳味噌あるのか?
単純作業だけなら、キーパンチャーをバイトとかで雇う方がマシだ。
腹が立つより呆れる。軽蔑すら飛び越して憐れみを覚える。
動物じゃあるまいし。『人間は考える葦である』